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連載コラム ある変革実践リーダーの荒波奮戦航海記 ~海図のない海をすすむ~

若林 健一

2021年4月5日

第25回 挫折できる幸せ

恐怖心の正体

「大事なプレゼンの前はいつも怖いよ。怖くてしょうがない。」


こんな話をある若手メンバーにした際に驚かれたことがある。私はどちらかと言うと強気なキャラクターが前面に出ている部分もあり、こんな気持ちになることが意外に見えたのだろう。


小さい頃からの癖で、緊張すると決まって手の中心が痛み出す。


運動会の日
陸上競技の試合の日
期末試験の日


いつも大事なイベントのとき、手の中心から痛みが取れたことは無かった。きっと自分は緊張しやすいタイプなのだ。そう自覚し始めると、その気持ちはコンプレックスに変わって行った。


自分に自信がある人は恐怖心や緊張など感じないのではないか。
自分は本番に弱いタイプなのでは。こんな癖など無くなればいいのにといつも思っていた。


しかし不思議なことに、社会人になると、この癖が消えた。自分が成長して心が強くなったから緊張しなくなったのだ。そんな風に思っていた。事実、それから15年間、現在のチーム設立まではこの癖はほぼ出て来なかった。しかしチーム設立以降、またこの癖が出始めた。


顧客に新しい提案をするとき
顧客に分析結果を報告するとき
メンバーにチーム方針を説明するとき


決まって手の中心が痛み出す。一体どういうことなのか。


実績や場数はこの15年間で積んできた。社会人になりたての頃に比べ、経験値は上がってきているはずだ。なぜまた自分の悪癖が出るのか。そう思い悩むことになる。


しかし最近になってようやく分かってきたことがある。
それは本気になれるもの、必死になれるものが見つかったからこそ怖くなるということだ。 

挫折できる幸せ

思い返せば、社会人になってからそこまで本気になれるものに出会えていなかった。
仕事に対しても、可もなく不可もなくといったスタンス。それ故、強烈な挫折を経験することも無い。ただただ当たり前の日常が流れるだけの毎日であった。


それが現在のチームを設立する機会に恵まれ、メンバーと共に悪戦苦闘する日々を過ごす中で意識が変わった。本気で取り組めるもの、必死になれるものに再び出会えたのだ。


今振り返ると「手の中心が痛み出す」のは、決まって自分が本気で取り組んでいた時だった。


本気で取り組めば取り組むほど、その結果が怖くなる。これだけやってダメなら、後自分には何が残っているのだと絶望感に襲われそうだからだ。


好きなことを突き詰めれば突き詰めるほど、その結果が怖くなる。それを否定されれば、自分の全人格・価値観を否定されるように感じるからだ。


それ故、本気にならず、ほどほどに日々を過ごしていた方が人生傷つかずに済む。どこか恋愛にも似ていると感じる。私自身も人並みに「傷つきたくない」という感情は持っている。本気を出さずに、どこかで余力を残しておいた方が自分にも言い訳が出来ていいなと思ってしまう弱い自分もいる。


しかし、本気で取り組みたいと思えるものに人生でどれだけ巡り会えるのだろう。
傷つきたくないといった感情でその機会を逃したら、次はいつ出会えるのだろう。


そう考えるとやはり本気になれるもの出会えたことは幸せなことだと感じている。


そしてそれ故、最近では


挫折できるのも幸せ。
恐怖心が訪れるのも幸せ。


そんな風に思えるようになってきた。なぜなら自分が本気になって取り組めることに出会えたからこそ芽生える感情だからだ。

 

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