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連載コラム ある変革実践リーダーの荒波奮戦航海記 ~海図のない海をすすむ~

若林 健一

2021年3月18日

第24回 なぜ練習をするのか。「練習の虫」は実は私の悪癖だった

人生を変えた一言

「若林君の目的は何?その目的達成のためにその方法は最善なの?」

私がまだ血気盛んであった若手時代の話だ。あるイベントの開催通知を出したところ、否定的な意見を返信してきた人がいた。それを見て思わずカッとなり、怒りの返信を出そうとした時に上司から言われた言葉である。

その上司は多くの人を動かす立場にいた。いつもにこやかに人を立て、時にはおどけてみせたりもする。変幻自在のふるまいをしているように私の目からは見えていた。

「会社の企業価値を上げること。これが私の成し遂げたい目的だ。そのためには多くの人を動かす必要があり、その手段としてこういったふるまいをしている。若林君は怒りの返信を出すことで自分の目的が達成できるの?」

その上司が性格的にいつもにこやかであった訳では無いことを知った。立場的なことを考えると、恐らく心に波が立った回数も私の比では無いはずだ。しかし目的達成のために、自分の心を抑えながら立ち振る舞っていた。それに比べ、自分は何と浅はかなことか。
ちょっとしたことでカッとなった短絡的な自分を恥じた。

今振り返ってみると、この一言は私の人生を大きく変えたと思っている。
何故ならそれまでの私は、中々治せない悪癖を抱えていたからだ。

目的と手段の関係

私が抱えていた悪癖の正体。
それは

「手段の目的化」

というものである。

よくよく考えると、ビジネスの世界に入る前、つまり学生時代からこの癖を抱えていた。特に強い思いで打ち込んでいた陸上競技において、この傾向が強かったように感じている。

私は「練習の虫」であり、練習をこなすことが目的化していた。ざっくり言うと練習時間の長さや走る量を増やすことに主眼を置く傾向が強かったのだ。一方トップ選手達は常に試合で高いパフォーマンスを出すことを主眼に置き、「試合のための練習」をしていた。この意識の差は大きく、私はこの世界で日の目を見ることがないまま現役生活を終えた。もちろん私にトップレベルに行けるだけの才能や身体能力が無かっただけということもある。しかし目的の捉え方で差がついてしまった部分も大きいと今では感じている。

そんな痛い経験をしながらも「練習のための練習」の悪癖は社会人になってからも続いた。若い頃は仕事の持っている本質的な意味も分からず、目の前の仕事をひたすらこなす。そんなスタイルであった。

納期通りに提出すること
綺麗なパワポ資料を作ること

こういったことに頭がとらわれがちであった。そのことが要求されている本質的価値、つまり目的そのものを考えることなどあまり無かったのだ。

それ故、冒頭で述べた上司からの一言は私に大きな道筋を示してくれたのである。
そしてこの経験が今の仕事であるデータ分析において大きく役立つことになる。


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