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連載コラム ある変革実践リーダーの荒波奮戦航海記 ~海図のない海をすすむ~
若林 健一
第23回 人を置いてけぼりに!失敗に学ぶデジタル時代必須の素養とは?
エゴの塊
人を置いてけぼりにしてしまう。
私がいつしか身に付いてしまった悪癖だ。
AIアナリティクスにおいて高みを目指すことを追求してやってきた結果、独りよがりのコミュニケーションスタイルになってしまった。
自分の専門知識が増えると、どうしても相手も自分と同等の情報を持っている前提で話をしてしまう。当然その専門領域でない人と話す時は、理解できる表現でコミュニケーションを取らなくてはならない。しかし、そのコミュニケーションコストを惜しんだ結果、いつしかエゴイスティックな人間になってしまった。
これくらいは知っているでしょ。
そんな考えがつい頭をよぎってしまう。他者へのリスペクトをチームの指針としておきながら、自分が一番出来ていない状態に陥ってしまった。
チーム設立当初は感度の高いアーリーアダプターをターゲット顧客にしてきたため、このような問題はあまり起きなかった。成果を早く上げるためにこういった顧客との仕事を意図的に増やしてもいた。しかし、ある意味ぬるま湯であったのかも知れないというのが、今振り返って感じることだ。確かにこういった層との仕事は早く進むし、成果も上げやすい。
しかしスケールさせるにはレイトマジョリティーを巻き込んでいく必要がある。チームとしてスケールが求められるステージに差し掛かっていたこともあり、このことが大きく壁として立ちはだかってきた。自分のコミュニケーションスタイルを変えなければ、この壁を超えられない。私自身に変革が迫られていたのである。
小学校で教わったこと

ピザ屋にそばの打ち方を何故知らないのかと憤る。
今思えば、私はそんなコミュニケーションを取ってしまっていたのだと思う。
そば屋にとって知っていて当たり前であることがピザ屋にとって当たり前であるとは限らないのだ。
こんなコミュニケーション齟齬を突破するためのシンプルな方法。
それは相手の知っている言葉を使って話すと言うことである。
歴史に喩える、スポーツに喩える、食べ物に喩える、他のビジネス事例に喩える
相手が興味を持っていそうなものに喩えると一気に理解度が増すということを何度も実感して来た。
突き詰めると
「相手の立場に立って話しましょう」
ということなのだと思う。
いい年した大人がこんなことも守れていないのかと自分が嫌になったこともある。
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