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誰からも共感されないことの価値~忖度まみれの組織運営を脱する~

PJ活動お役立ちコラム
第112回 2023年1月17日
誰からも共感されないことの価値
~忖度まみれの組織運営を脱する~

今回は、「誰からも共感されないことの価値」というお話をしたいと思います。少し刺激的なタイトルになっていますが、大事な視点だと思っています。

安易に共感してしまうことの落とし穴

皆さんは他者とコミュニケーションする際、たとえば何かの会議などの場で簡単に相手の言うことに合意したり、納得してしまうことはありませんか。特に相手が信頼のおける上司の場合や親しい先輩社員の場合、「この人が言うのだから正しいに違いない」などと安易に考え、それ以上自分の思考を深めることを止めてしまっていませんか?
筆者にもかなり心当たりがあるのですが、若手社員の頃や経験の浅い事柄に対しては、特にこのように考えてしまうことが多かったように思います。しかし、本当にこれで良いのでしょうか。

このことの背景には、「疑問を抱く暇があったら早く指示どおりに動いたほうが楽だし、自分自身に責任も発生しない」という少しズルい考えがあったように思います。また、こうした責任回避の感情の背景には、そもそも自分自身に「何かを成し遂げたい」という目的意識や「たとえ批判があってもやり遂げる」という覚悟のなさも垣間見ることができます。

「これはなぜか?本当か?」の訓練を積む

このような思考のクセを脱するには、「これって本当?」、「なぜそうなるの?」と考える習慣を持つことが大事だと思います。極端な言い方をすれば、世の中のあらゆること、たとえば、新聞やテレビなどの報道機関で報じられていることに対して、「なぜ?」という気持ちを持つことが大事だと思います。そしてこのことは同時に良い訓練になると思っています。あるいは、自分自身で何かテーマを決めて「これはなぜか?」と考え、背景を調べ本質を探ってみることも有効だと思います。
筆者もこの訓練を積むことで、少しずつですが物事を簡単に信用しないようになっています。

現代はSNSの浸透により、安易に「いいね!」を付けることが習慣化され、「いいね!」を付けるほうも付けられるほうも無目的、無思考状態のまま相手を承認してしまうことが常態化していると思います。対象がプライベートな日常の小事に関することならそれも大いに結構ですが、人間の思考習慣はそんなに簡単に小事、大事で使い分けることができるとは思えず、実は大事な会議の場で安易に相手に忖度したような発言をしてしまうことも起こり得ることだと考えます。
「なぜそう考えたのか?」という深堀のない議論では、参加者の思考も深まらず、確かな根拠のない間違った結論に至ることも多々起こりうることだと考えます。

誰からも共感されないことの価値

上述したような言動をすると、チームや組織の輪を乱す者としてほぼ100%嫌われます。
しかし、筆者はここで問いたい。果たして「チームの輪だけで勝てるのか?」と。あるいは、「チームの輪だけでプロジェクトは成功するのか?」と。

極端な例ですが、米国のシリコンバレーに拠点を置く先進企業では、世界中から異質な才能が集まるから、それが強烈なエネルギーとなってイノベーションを生み出しているという話を聞いたことがあります。日系企業で働く私たちも、さまざまな多くの異質の集合体として、一人ひとりが負けない心の強さを持って日々業務を行いたいと考えます。
大人の分別や周囲の空気を読むことも大事かも知れません。しかし、一旦これらのことをすべて忘れ、「なぜ?」を追求する気持ちで仕事をしたいと思います。たとえ、最初は「誰からも共感されない」状況に陥ったとしても、思考停止した組織運営を脱するためには避けて通れない道だと思います。

読者の皆様にとっては、今回は「おかしなコラムだな」と思われるかも知れませんが、見方を変えれば「誰からも共感されることは、誰からも簡単に模倣される」ことにも繋がるため、競争力強化の視点や差別化のための考え方として、あえてこのようなコラムを書いたという筆者のささやかな想いをご理解いただけたらと思います。

皆さんにとって役立つ話でしたら幸いです。