Displaying present location in the site.

付加価値の正体

PJ活動お役立ちコラム
第30回 2021年06月22日
付加価値の正体

付加価値ってなんだ

今回は付加価値の正体についてお話します。
皆さんは「付加価値」という言葉を聞いてどんなこと、あるいはどんな状態を想像するでしょうか。ものづくりの世界なら、高機能、便利さ、高信頼性など製品仕様の高さに関することをイメージされるでしょうか。あるいは、イノベーションという現存しない新たな社会的機能を備えている状態を想像するでしょうか。サービス業の世界なら、お客様に対する思いもよらぬ驚きや感動の提供といったところでしょうか。
職場などにおいても、日常的に上司から「もっと付加価値をつけなさい」とか「付加価値のある製品やサービスを提供しないとだめだ」などと注意された経験は、誰しもがお持ちのことと思います。
ところが、今の日本企業で付加価値を付けたサービスで大成功している企業はあまり多くないのではないか、という感覚を持っているのは筆者だけでしょうか。そのあたりの原因として、企業側の考える付加価値とお客様側の考える付加価値との間にかなりの乖離があるからではないか、とはよく語られる議論だと思います。

眼に見える価値は付加価値ではない

そもそも付加価値とは、眼に見えるものでしょうか。あるいは、眼に見えないものでしょうか。
筆者の私見は、「付加価値とは眼に見えないもの」だと考えます。今の時代、どんなに製品を高機能化しても、そのことがそもそも存在していた問題や課題の解決に繋がっていれば良いですが、多くの場合、過剰品質として受け取られるケースが多いように思います。「そんなこと求めてないよ」で終わるケースです。また、そもそもの問題や課題の解決なら、それは付加価値ではなく、当たり前の品質になっただけの話になります。
他方、お客様に何かの提案をする場合においても、多くの場合、自社の誇る技術力や対応力を武器に「これでもか、これでもか」とグイグイ押していくことがあると思います。または、押されたご経験があると思います。提案する側にとっては、「これが当社の付加価値だ」と言わんばかりの雰囲気と口調で自信満々にプレゼンしますが、意外にお客様はさめざめとした表情で、別のことを考えているケースにぶつかった経験もあるのではないでしょうか。筆者の場合、お客様に露骨に居眠りされた経験があります。
この場合も、実際に眼に見える、見えないは別にして、「これが当社の・・・」と形を意識している段階で、もはや付加価値ではないように思います。

眼に見えないところにこそ付加価値は存在する

私事で恐縮ですが、現在、筆者は両親の残してくれた不動産(実家)の処分(売却)をしています。そのため、買主との不動産売買契約を締結するための仲介会社とのやりとりを頻繁に実施しています。各社、自社のサービスを丁寧に、また誇らしげに説明してくれます。そこには、ネットでの訴求力や地域での販売実績、はたまた営業パーソンの力量など、あの手この手が含まれます。当然、売却見積の金額も会社間でかなりの差があります。
そんな中、私が決めた1社は、必ずしもネットでの訴求力はそれほど高くなく、基本は新聞の折り込み広告という手法であり、売却金額の高さも一番ではないという状態でした。
では、なぜその会社さんに決めたのか。理由は、電話で相談を依頼したその当日に即刻現地を見に行ってくれたからです。そのことは後から知るわけですが、周辺環境や家そのものの状態などをできる限りつぶさに調べ、その結果を丁寧な報告書にまとめて初回の打ち合わせに臨んでくれました。空き家として長く放置していた不安や、後ろめたさもさることながら、親が残してくれた思い出のある家をできるだけそのままの状態で次の方へ引き継ぐことを約束している提案内容でした。つまり、売り手の見えない気持ちに、見えない心配りで応えてくれていました。
今の時代、ネットでの訴求力や営業パーソンの人柄の良さも大事ですが、そのことよりも、売り手の心にそっと寄り添うサービスそのものに高い付加価値を感じました。

仕事の準備段階にそっと付加価値を忍ばせる

皆さんは、皆さんのお客様の知られないところで、どれだけお客様を第一に考えた仕事や準備ができているでしょうか。あるいは、ひっそりとお客様の抱える不安や課題に思いを馳せているでしょうか。
付加価値と言えば、自社や自分の得意なことにフォーカスし、ゴリゴリとプッシュしがちになりますが、今回は付加価値の出し方にもいろいろあることに気づかされたため、このお話をさせていただきました。
少しでもお役に立てば幸いです。